相変わらず仰々しいタイトルではありますが、中身は全然仰々しくないので気楽に見てだくさい。(笑)

3月も20日を迎える頃になると日の出日の入りがちょうど6時くらいの昼12時間、夜12時間に入ります。

おかげで朝、目が開くのがちょっとずつ早くなってきているようです。人間、やっぱり明るいと目が覚めるようで、でも暖かすぎると暁を覚えない春眠にも見舞われるわけでのこの3月後半から5月前半。一番「暖かい時期」に感じるのではないでしょうか。

でも寒さが残っているのはこちらの風景から見て取れます。

ちょっと分かり難いので撮り直し。(^^;)

当社の前から見ている風景で、古くから、石川県を常に見守り、そして台風から常に守ってくれる「霊峰 白山」。

名前の通りというと、ちょっと季節外れになりつつありますけれども、まだ残雪が残っていて、青空の下、白が映えます。これが緑色になると春から初夏の到来と言ったところでしょうか。

 

さて、この3月4月と言えば学校は卒業シーズンで入学シーズン。

そして、個人的に一番記憶に残っているのは高校生になったときの4月でしょうか。

小学校、中学校と給食があったのでお昼には苦労しませんでしたが、高校時代の3年間だけは昼食がお弁当だった時代、今思えば、母親にお世話になったなぁ、とつくづく感じます。

なぜならば。

現在、私もお弁当を作って会社に来ているわけで、でも、昔と違ってこう言った感じで便利な冷凍食品が多々ありますので、大体5分もあれば準備ができる時代になっています。

実は意外に、気付かないままに一汁三菜の内、

一汁は会社の自販機で準備してますけど、三菜に関しましては無意識に準備していたなと。

野菜と漬物は上で、主菜は下が中心で。

さらに言えば、最近のものは自然解凍も多くなってきているので、場合によっては準備は3分で済むときも。(笑)

でも、私の高校時代に母が準備していたお弁当は、時々揚げ物があったうえに、焼き物、茹で物はほぼ毎日、野菜(主にキャベツ)を弁当箱の下に「千切り」で引いてありましたから、かなり大変だっただろうなと。

しかも、当時はまだまだ登校日は6日制。私は部活をやってませんでしたから土曜日の弁当は必要なかったですけれども、それでも家に帰れば昼ご飯はちゃんと用意されていたわけで。

本当に今になって、ものすごく頼っていたなぁ、としみじみ感じます。

 

...多分、高校時代のお弁当については、出されたものに文句を付けたことはないし、残したこともないはず...

 

作ってもらった以上は、何も分からない一桁の年齢の時はまだしも、高校くらいまで行けば、文句を付けたり残したりしてはいけない、と思います。まあ、私が食べられないものが入っていた覚えはまったくありませんが。

さて、私は今、その時の恩返しというか、親孝行は、出来ているのかな...? これは自分では判断できないことではあるけれども、周りからはどう見られているのかな?(R.M)

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